中嶋さん今は苦痛もなく心穏やかにされていますか。私の心の友だったグアムの友人宮川さんも亡くなり、いろいろな面で私をささえてくれた中嶋さんも失い、いいようのない悲しさ、寂しさに心が折れています。私が最後に中嶋さんにお目にかかれたのは多分今年の8月初旬頃だと思います、お体の具合が悪いと知りつつも、何とかお目に掛かりたいとの思いで、宿泊先のホテルへ伺わせてもらいました。辛いお体の状態だったのにもかかわらず、ご夫婦共に笑顔で迎えてもらいました。

 誠実な中嶋さんのお人柄に胸が熱くなりました。中嶋さんには私が日本人会の会長時代、副会長に就任頂き、陰,日向となり私を支えて頂きました。中嶋さんは日本人会教育部の経験が豊かでしたので、教育部長と副会長を兼任してもらい、学校理事会の皆様から最適な人材を選んで頂いたと喜んでもらいました。ところが、翌年、文化部の部長と部員の間のコミュニケーションが上手くいかず、教育部で手腕を発揮されていた中嶋さんに文化部長への就任をお願いしました。驚いた顔をされていましたが、事情を説明したら、快く引き受けて頂きました。このように、誰に対しても細やかな気配りのできるお人柄がこの件でも力を発揮してもらえました。又、日本人シニアゴルフ会のメンバーで、私の会長時代、理事になって頂き、ハンディキャップ委員長として、ゴルフのルール、マナーの作成、ゴルフプレイヤーの色々な記録をコンピュータに保管するソフト作りなど、手間の掛かる仕事を真剣に取り組んでもらいました。この努力はシニア会の基礎を作られた成果として末永く称えられると思います。中嶋さんにはいろいろな面でお力添えを頂き、心から感謝の気持ちで一杯です。中嶋さん本当に有難うございました。どうか安らかにお休み下さい。 “さようなら”

髙木秀暢 合掌

*中嶋則夫氏のプロフィール
茨城県龍ヶ崎市出身、大学では会計学を専攻し、1975年4月不動産会社勤務され、1976年7月に当時のホテル・トロピカーナに経理担当として赴任されました。1978年2月に転勤辞令を受け一度日本に帰国されますが、1981年11月馬場コーポレーションに入社され、傘下各社の運営にあたられました。1984年4月同社バス事業部門であるマイクロネシアン・ホスピタリティ・インク(MHI)総支配人に就任されています。MHI社は、2008年株式が馬場コーポレーションからサンコーエンタープライズ・インク(SEI)に譲渡され、現在はSEIグループの一員となっています。

中嶋氏と日本人会との関連は、次の通りです。

日本人会理事 4期(x3年、会計部長、教育部長、文化部長、副会長を歴任)、他に学校理事、補習授業校PTAや日本人会20周年記念行事委員等  
その他の役職
グアム政府観光局理事、日本グアム旅行業協会役員、Employers Council理事などを歴任、趣味の分野では1991年ゴルフのお仲間とグアム九十九会を設立されています。