グアム日本人会商工部主催 トップマネージメント座談会 レストラン業界編

 日本人会商工部の取り組みとして始めておりますトップマネージメント座談会でございますが今回はレストラン業界編としてグアムで活躍されている日本人シェフの皆様にお話をお伺いさせていただきました。シェフ会のご協力によって貴重な経験談やアドバイスなど盛りだくさんの内容になっております。

「ラッテ」では紙面の関係で①~③までのご紹介でしたが、こちらの日本人会ホームページでは、全文はご紹介させて戴きます。

[参加者]
中村 信三 様Joinus Restaurant けやき
遠山 重春 様 CITY HILL CO., (GUAM) LTD.
野中 尚登 様 NONAKA CORPORATION, DBA BENTO CHEF
シェフ会の皆様

[司会、進行]
渡邉大輔 日本人会商工部部長
中根 豪 日本人会商工部副部長


①開業に際して一番苦労したこと
②戸惑われたこと(習慣、言語)
③味覚の違いについて
④オーナーシェフとしての苦労、食材についての苦労について
⑤ 食材の違いについて
⑥40年以上もシェフとして成功した秘訣
⑦日本人へのシェフからのアドバイス
⑧グアム来島者が減っておりますが今後のレストラン業界の展望は

①開業に際して一番苦労したこと

B: 人に苦労した。この島には日本人の定住者が少なかった。一番大変だった。みんな日本式の教え方をしていたからスタッフが続かなく辞めてしまった。一生懸命教えるが教えるたびに感情が入って厳しい言葉になってしまいスタッフが長続きしなかった。そこから我々も学んでいった。もともと料理ができる経験者がグアムにはいなかったので我々が育てるしかなかった。各レストランに散らばっているがグアムのシェフを我々が育て現在ではグアムにある有名レストランの日本食に限らずシェフは殆ど日本人から学んでいった。

A: 私もホテルでフレンチのシェフであった。言葉ができなかったからどうしても教えることが難しかった。最初のころはどうしても感情的になってしまって。こっちも一所懸命やっていると意味合いがわかってくれて後は技術を見せて覚えてもらった。例えば包丁の使い方についてはキャベツの千切りをするのに食材を見ずに線切りをしてみせたり、オムレツを作って見せた。当時のオムレツは鉄板焼きの上にパーッと卵を乗せただけで本来のオムレツではなかった。オムレツの場合は切った時に少し中の具が少し出るくらいがオムレツであって、本物のオムレツをフライパンで作れるスタッフがいなかった。新橋での修業時代にオムレツの神様から教えを得ていた。失敗して何度も食べておぼえた。何十個と毎日食べ続けた、朝食、ランチ、ディナー、で毎日食べていた。何ダースも食べた。

司会:みなさん同じような経験をされましたか?
C: 同じホテルで働いていたので私も毎日卵を何ダースも食べたよ。

② 戸惑われたこと(習慣、言語)

B: こちらではパートタイムとかマンスリーとか雇用体系が違ったり、時間になったらちょうどに帰ってしまったり。

A: 保健所の対応などに戸惑いました。日本の場合は二三カ月に一度査察に来て、床を掃除して床をバーッと水で流し手を洗って帽子をかぶって保健所を待っているのですが、こちらの場合は床を水で流して濡れていてはだめで乾いていないといけなかった。なのでモップで乾かしておくだけで大丈夫だった。グアムにあった日本のホテルだと、藤田、東急、いまのPICがコンチネンタルホテルとしてあり4件目として第一ホテルがオープンした。当時の保健所のスタッフによっては言うことが違って、これはサランラップではだめだと言ったり、他のスタッフはアルミフォイルではないとだめだと言ったり。保健所のスタッフから当時通訳で一緒にいたこちらのスタッフが帽子を被ってなかったらノーハットというところにチェックが入って注意される。でも保健所のスタッフは帽子かぶってこないんだよなぁ。まあ逆らえなかったけどね。

B: パラオの人は日本語が話せる人がたくさんいて助かった。なぜなら日本人国民学校がパラオにあり日本語を話す人がいたので。

A:藤田ホテルにいたローリーさんというパラオの女性がいて、テヤンデーベランメーみたいな口調なんだから。

③ 味覚の違いについて

A: F&Bアシスタントマネージャーにオニオングラタンを飲ませたらうーんと首を傾げているんだよね。くるま屋さんからスタッフを呼んで食べてもらったら、おいしいと言うんですね。それでアシスタントマネージャーに何が不満なのか聞いたら、ハインツの缶詰と違うと言われ、そこで彼らとの味覚の違いに気づかされました。

B: 日本食は少なくグアムでは当時は生の魚を食べる習慣は無かった。よって揚げ物類は当時からよく注文を受けていました。

A: そうなんだよな、こっちの人は生ものを食べるんだけど味を見る前になんでも唐辛子を付けたりレモンとかカラマンシーをかけて食べていた。 箸を使う習慣がなく、フォークやナイフはあったけど最初は手で食べている人もいました。そこで我々がグアムで初めてレストランで箸を用意し始めた。

④ オーナーシェフとしての苦労、食材についての苦労について

A :  船が届かなくて野菜が全くなかった時がありレタスが無い、キャベツが無くなった。
30年前で東京マートでキャベツが1個30ドルすることもあった。飛行機で空輸して持ち込んだ。とんかつ屋さんは一番困ったんじゃないかなと思った。

B: しかしグアムではとんかつにキャベツが無くても別に問題は無かったですよ当時は。特にこだわりはなかったので。

A: 以前から日本の食材を扱っている会社が数社あったもので特に大きな問題もなかった。
魚類は火曜と金曜日に飛行機で日本から入ってくるので、ファーストクラスで来るから高いですよ。

A: バイキングをやっているとこちらの人はとにかく食べます。こちらの人の良いところは残すという事をしないのです。日本人の中には人の食べ物までテーブルに持ってきて食べきれず余りが多くなってしまうことがある。中には寿司に乗っているネタだけを食べる人もいたがこちらの方は残すことが少ない。こちらでは日本人のボリュームでは満足しない人も多いですね。

⑤ 食材の違いについて

B: トマト一つにしても日本の完熟している物はおいしいがこっちのものはそれに比べるといまいちだったり。 

A: 極端な話、ナスにしても皮をむいて食べないといけない。日本であれば漬物なんかも皮ごと食べられるのに。他の野菜に関してもみんな大味というか。

C: 私の見たのは直径がウリみたい食物があり、これはなんだと聞いたらキュウリでした。固さも尋常じゃなくて、皮をむかないと食べられないんだもん。キュウリで皮をむくのは初めてでした。更に各きゅうりの大きさから味から硬さから全く違った。
当時はそんな食材しかなかった。

B: 当時は台風が2年に1回ほどグアムに上陸していました。現地でも栽培などもしていたが台風などでやっと育てたものがいつも全てだめになった。

A: 当時はジーゴに第一ホテルの土地があって、そこで水耕栽培でマスクメロンを栽培していたんですよ。糖度80%のすごいものでしたが、それも全て台風でダメになりました。
1976年のパメラ台風が一番大きな被害だったのですが、その時NAVYの風速80メーターまで計れる風速計が飛んでしまった。それ以上の風速の台風が来たという事なのです。

台風の去った後は水と電気が一か月から二か月来なかった。ホテル街は自家発電ですぐに対応したが水道が無く苦労した。その時は水が出るという従業員の自宅からウォーターベッドを容器にして水を運んでしのいだ。そんな状況の中でも、食事を提供しなくてはならず150名程のお客様へ食事を無料で提供しました。毎日ステーキーでした。電気がないのでロウソクを1台のテーブルに10本。プロパンガスがあったために料理はできたがエアコンが無く汗びっしょりで料理しました。暑すぎて食事を裸で作っていたら日本の料理長から怒られた。でも暑くてしょうがないんだよ。

⑥ 40年以上もシェフとして成功した秘訣

B: 現地スタッフとの信頼関係が作れたこと。彼らが戦力になってくれたので同じ味を続けることができた。昔はいっぱい失敗してきたけど、今となれば経験を活かせることができている。

C: 人がやらないことをやった。最初はフレンチのシェフでした。その後お弁当屋さんを始めたが最初は80食ぐらいしかできなかった。レストラン業より需要があると思い店を始め、営業時間などのことを考えずに仕事をしたかった。最初は各ホテルのブッフェの鮨、巻物を提供していた。ホテルによっては日本人シェフがいないレストランもあったため。初めての仕事はハイアットであった。日本の自衛隊のために1万食をアンダーソン空軍軍基地に届けたこともありました。器材に多くの投資をしていたので、大口の注文も対応することが出来ました。その仕事は先輩後輩、また仲間からの紹介だったりで人の繋がりはとても大事です。

⑦ 日本人へのシェフからのアドバイス

B: 日本食の四季を感じる食材を提供するという事。

C: グアムにあるその時期に収穫できるローカルフルーツなどがレストランに行ったらあるとか、まあそういう時期によって違う果物アボガド、マンゴ、サワーサップ、グアムならではのフルーツでも魚でも季節を感じるローカル食を味わっていただきたい。

⑧ グアム来島者が減っておりますが今後のレストラン業界の展望は

B: 早く終結してほしい。グループで来られる方が減ってしまってどの業界も困っています。我々もこの状況が長く続くとは思っておらず、出来る事からこなしていくだけです。やはり景気には波がある。今までに何度も台風、テロ、911、震災、不況を経験してきたので耐えてきて乗り越えてきている。今は耐えるとき。また景気が回復してくるのを待つだけです。

毎月1回、30年以上続けて来られたシェフ会の皆様にご参加、ご協力いただきました。
ありがとうございました。

商工部