平成27年秋の叙勲を受賞された高木秀暢さん

Takagi Associates, Inc. 社長・日本人会会長

高木秀暢さん

この度は旭日双光章(きょくじつそうこうしょう)の受賞おめでとうございます。
今回の叙勲は実に名誉なことで、本当に喜んでいます。私にとって人生の節目の思い出の1ページに載せられる記念すべき出来事です。この受賞は皆様のご援助とご指導の賜物です。
授賞式はいつどこで開催されたのですか?
11月13日に外務省で大臣から勲章と賞状を授与されました。その後、受賞者全員が外務省で会食した後皇居に移動し、宮殿で天皇陛下に拝謁しました。陛下は大変お元気な様子で、車椅子の乗った受賞者には陛下自ら大丈夫ですかと声をかけられ、とてもお優しい方だという印象を強く受けました。
言うまでもなくこの受賞は高木様の長年の地域社会への貢献が日本政府から認められたわけですが、我々がすでに周知の Red Crossへの多大な貢献やピース・リングの会長などの他にHospital Foundationなどにも貢献していらっしゃるご様子ですので、地域社会活動の話をお聞かせてください。
American Red Crossは10年ほど続いており、今はSecond Vice President です。そもそもはここの支部がアジア系の幹部を探しており、私に依頼があったのです。現在アジア系では私一人だけですので、今私の後継者となってくれる日本人を探しています。どなたかいらっしゃいませんか?ピースリングはグアムのNPO法人で、日本にもあります。グアムでは19,000人もの日本人の兵隊さんが亡くなられています。これらの兵隊さんの慰霊を末永く継続するため、日本人会行事として慰霊塔・慰霊碑の清掃と慰霊を年二回、ピース・リングがお膳立てのお手伝いをしています。また未だ90%の日本の兵隊さんの遺骨がグアムの地に眠られており、一日でも早く遺骨収集が出来るようにグアムで出来る協力はしています。

Hospital Foundationはグアムで心臓と脳の応急処置が出来るprivate hospital設立のためのNPOです。グアムに住む日本人と観光客のために、この病院に日本からの共同投資と日本の病院の誘致を試みましたが、残念ながら思い描いた体制にはならなかったものの、今年遂にMedical Cityという民間経営のホスピタルが完成し、心臓と脳の応急処置が出来るようになりましたがね。他にグアム大学のMARCと呼ばれているミクロネシア・エリア・リサーチ・センターの最初のチャーターメンバーとなり、8年ほど理事を務めています。多くの文献や写真が保存されており、今後も様々な研究上役立つことを願っています。

昨年5月にTakagi Associates, Inc.の25周年を迎えられ、おめでたいことが重なっていますが、会社設立まではどうなさっていたのですか?
当社は日系ビジネスの保険が専門で、日本人会会員の皆様には特にお世話になっています。25年前までの17年間もやはり保険をやっていました。UIUという保険代理店の現地責任者で、25年前に現在の会社として独立したわけです。つまり保険は既に42年の経験です。当社のモットーは保険で引き受けられない保険を世界中から探してくることです。多くの米軍人や家族達が入っているUSAAなどのアメリカ系の保険会社を含め10社の保険会社と提携をしています。
高木様がグアムに移ってこられたのは何年ですか?確か農業を興す目的でいらしたと聞いています。農業からアメリカの保険会社のグアム支店長になられた成り行きは? 当時はいろいろなご苦労がありであったと思いますが、そんな苦労話をお聞きしてもよろしいでしょうか。
私が初めてグアムに来たのが1967年で、移住したのは1969年からですから既に46年間グアムに住んでいます。私は農学部卒で、もともとブラジル移住を考え大学時代はポルトガル語を勉強したほどです。それがまずはCNMIでのミント栽培の調査から始まり、最終的には同僚7人と共にグアムで野菜栽培の事業を開始しましたが、台風などの自然損害、水牛(カラバオ)やノブタ等の動物からの被害、グアムの農地に生息する病気、バッタなどの害虫による被害などの日本では考えられない戦いで資金が途絶え、3年で断念しました。しかし私は日本に帰る気になれずにいたところ、日本で保険会社勤務、保険代理店事業をしている私の父、兄、弟全員が家族会議で私が日本に帰らないのならグアムで保険業を興す、という条件で、私のグアムでの保険人生がスタートしたのです。苦労話と言えば、一番苦労しているのは家内です。仕事ばかりの人生で家庭は任せ切りでしたからね。家内にこのページで苦労話をしたらどうかと聞くと、「叙勲の話が吹っ飛んでしまいますよ。」(笑)「苦労した甲斐がありました。貴方も本当にご苦労様でした。ありがとう。」と言ってくれました。

インタビュア: ウッドレー節子