1997年度補習授業校卒業生  野瀬 隆志

 現地校は高校卒業までセントジョンズにお世話になりました。補習校を卒業しましたので、中学までは日本語に触れた生活をしておりましたが、日本の大学に進学するまでの高校生活は日本語は日常会話だけでした。補習校を同期で卒業したのは12.3人位だったと思います。多くの同期がアメリカの大学に進学する中、アメリカへの進学も考えましたが、上の姉達が日本に進学・就職し忙しくしているのを見聞きし、日本で生活してみたい働いてみたいと思うようになり大学は日本にしました。大学生活では日本に随分慣れたと思います。ただその先の就職では外資企業から内定は頂いていたものの最終的には、ここで甘えず自分へのチャレンジと思い日本の企業を選択、自分の中ではバイリンガルと言うには日本語が中途半端だと思っていたので、それを克服するためにも今の会社に就職しようと決めました。会社は総合商社で帰国生などはいないものだと思っていましたが、意外にも帰国生もおりました。ただ中途半端だった日本語の面で日本でずっと教育を受けている方とはやはり違う点もあり、「帰国だから・・・」と思われないよう努力しました。苦労と言えばその点でしょうか。今は年数も重ね部下もおりますのでそんな事は言っていられません。入社9年目ですが、2年前までインドネシアに3年半滞在しておりました。私が育ったグアムと環境が近く、現地に慣れるのは早かったと思います。時間の感覚、責任感の違い等日本とは違う点も多かったのですが、グアムという多民族社会で育った環境からかアウェイな感覚はありませでした。そして海外では自分の育った環境や語学が存分に生かされたと思います。

 今回は、住友商事(電力事業第一部)でご活躍の野瀬隆志さんに話を伺いました。日本に帰国後も新規事業開発しているフィリピンとインドネシアと忙しく飛び回っている様子。中学生の時に「補習校卒業したら日本語忘れちゃいそう」と言っていたのを思い出します。そんな事ありませんでしたね。  

インタビュアー 編集委員 R.U