あいおいニッセイ同和損害保険株式会社 グアム駐在員 平野 裕一郎

toko 当社とタカギ&アソシエイツ社との出会いは、さかのぼること27年前に東洋熱工業の宗岡副社長から高木秀暢氏をご紹介いただいた1990年8月16日(木)から始まります。当社の前身の一つである大東京火災は、主要顧客の海外投資が目白押しとなる80年代後半より、現地進出企業に対する保険サービス体制の確立を焦眉の急とし、特にグアム島の多くの重要顧客に向け当社が直接証券を発行でき、日本語による保険サービスの提供を可能とする体制の構築を急務と考えておりました。高木氏はこの時点でグアム在住23年、既に保険代理店の経営をされてましたが、宗岡氏とその日、送り盆の日本にお越しになりました。当社の東京本社で高木氏はグアムでの保険事業を成功させるアイデアを披露され、グアムの日系顧客にとって頼りになるのは現地で保険会社としての機能が完結できる総代理店方式であるとし、損害調査から保険金支払、顧客ニーズに沿う保険商品の開発と現地当局への認可取得に至るまで、一貫したサービスを展開できる体制の構築が不可欠と力説されました。当社の役員は感服しました。紹介者の宗岡氏も満足のご様子で、「新鮮な野菜は良い。半年、遅くとも1年以内の早い時期で対応してあげてほしい。」と仰られました。

toko そして双方の砕身の努力の甲斐もあり、半年を待たず、翌年(91年)2月1日に営業開始を迎えます。当社のグアムにおける総代理店タカギ&アソシエイツ社(T&A)の誕生です。しかしそれからの10年間は困難の連続でした。まず翌年に台風オマールがグアム島に上陸し甚大な被害が出ます。その翌年にはマグニチュード7.1の巨大地震に襲われます。この段階で当社のグアムオペレーションの事業採算は大変な赤字に転落して行きます。当社は立上げ初期段階で自然災害の脅威についてはある程度予測し、グアムにおける保険元受に包括して再保険を手当てするいわゆるファイナイト方式の引受をしておりました。しかし度重なる自然災害の発生で再保険マーケットはハード化し、通常の保険料では買い手がつかない状況となりました。そうなると当社は内部留保(支払余力)を切崩して保険金支払いに充てる丸裸(グアムオペレーションについて)の状態になって行きます。何があっても撤退はできないと高木氏と決意しておりますので、これ以降(95年)グアム地域で責任を持てるリスク(キャパシティー)を管理する手法が重要となり、T&Aでの保険引受(アンダーライティング)能力が飛躍的に進化していきます。しかし自然災害の脅威は止まりません。97年に台風パカ、02年7月には台風チャターンそして12月に巨大台風ポンソナがグアムを襲います。

 まさに立上げからの10年間、T&Aは嵐の中に居たのだと思います。嵐の中の10年間、少なからずT&Aはグアム地域に貢献できたと当社は評価しており、今日に至る四半世紀は『T&Aの責任感へのリスペクト』が当社の変わらぬ方針となっております。日本では19世紀後半に主要な保険会社が生まれていきましたが、ここ15年間の大規模再編で損害保険会社は4社に収れんされました。当社も大東京火災・千代田火災・ニッセイ同和損保が合併して現在の姿になっており、また三井住友海上とブランドを分けて営業しておりますが、MS&ADとしてグループを組みグローバルネットワークを形成しております。当社は今後もグアムにおいてT&Aの事業方針に寄り添い、次世代への橋渡しができれば幸甚と考えております。