GMHに初の日本人女性医師 島袋 梢さん  Vol.121

島袋 梢さん

1.簡単は自己紹介をお願い致します。
沖縄県うるま市出身。県人材育成財団奨学金を受けて渡米。カリフォルニア州のロマリンダ大学医学部卒業。University of California at Los Angeles (UCLA)で小児集中治療フェローシップ研修を受ける。2011年に東北大震災で小児レスキュー隊として被災地に赴き、その後カリフォルニアと日本の小児災害予防医療に貢献。フェローシップ卒業後は母校ロマリンダ大学付属こども病院に戻って準助教授、兼、ロマリンダ付属ホワイトメモリアル小児病院のメディカルディレクターとして勤務。主人の転勤にともない、グアムに引っ越し。母校で準助教授を続けながら、Guam Memorial Hospital(GMH)の副院長、小児集中治療医として勤務
2.ドクターを目指されましたきっかけなどを教えて下さい。
15歳のときに進路を聞かれ、「貧しい国の子供たちを助ける仕事がしたいな。それってやっぱり医者になるしかないな。海外で働くためには海外で医学部いくしかないな。」と思い、初めて言葉にして意思表示をしたのを今でもはっきり覚えています。それまでかなりヤンチャで問題児扱いだったので先生や親もびっくりしたと思いますが。 小さいころから親に「人のためになる人間になりなさい」と言われて育てられたのが徐々に形をなしてきた故に出した結論だったと思います。島袋家はもとは代々農家でしたので、医師になるという道は未開拓だったのでいろいろと試行錯誤しました。アメリカ在学中では時々資金が切れ、カビの生えたパンとか賞味期限の切れた缶詰とかを近所の人からもらって食べたのも今では懐かしい気がします。「医者になろう」と決めてからは「もう無理かも」と一度も思わずまっしぐらにこれたのは、私と私の使命を信じて励ましてくれた家族の支えがあったからだと感謝しています。15歳の時に夢描いた未来に今、現在自分がたっているのだ、と思うとくじけそうになった時も「大丈夫」と思える気がします。
3.グアムで医師として働かれて感じる医療事情などあればお聞かせ下さい。
グアムはアメリカの一部なので、カリフォルニア州やハワイ州とさほど変わらない医療事情なのだろうと考えて来ましたが、蓋を開けてみて驚きました。グアムで最初の3か月はデデドにあるGRMCという私立病院で勤務してみましたが、いろいろと病院体制が整っておらず、集中治療医療を施せるような機関ではなかったので驚きました。同僚らも相次いで本国に帰っていくのを目の当たりにして、一旦、私や主人もカリフォルニアに戻ろうかと迷いましたが、グアムの子供たちがいまだに肺炎や交通事故など、処置をすれば命が助かるような病状でもなくなっている現状をみて心を痛め、残る決意をしました。幸い、GMHやグアム政府が現在の非常に高いグアム小児死亡率を憂えて、グアムの医療をより本国のスタンダードに近い病院になすために私の雇用をサポートしてくださり、現在にいたります。GMHですごく感動したのは、理事長を始め、看護師、医師を含めすべてのスタッフが「子供の命を救うため」なら一丸となって前進する意欲があることです。GMHで働き始めてまだ7か月程度ですが、救急、小児医療、病院全体でのスキルレベルはすごいスピードで追いついてきています。ついこの間も生後数か月のちびっこに人工透析を施したり、と既にアメリカ本国に近づいてきているのです。政府から予算がおりなくていつも四苦八苦しているGMHですが、これからの将来がすごく楽しみですね!
4.ご家族のご紹介をお願いします。
主人とはUCLAの研修中の同級生として出会って結婚しました。私と正反対の背が高く静かで落ち着いた人です。現在は小児循環器医としてグアムSDAクリニックで働いてます。娘が一人。また妹家族も5年ほど前にグアムに移住してきていてグアムSDAクリニックで働いています(宮城先生)。ずっと家族と離れて留学していたのでこんなに家族と近くにいられるのは幸せですね。
5.これからの夢などあれば教えて下さい。
今の夢?というか目的はグアムの子供たちの医療をよくすることですね。救える命を救うこと。そのためにはグアムパブリックヘルスや、コミュニティの方々と力を合わせて全力で走っていきたいと思います。今夢描いている未来が5年後くらいに本当になればいいな。

インタビュアー:編集委員 Y.O