irei グアムは先の太平洋戦争に巻き込まれ、1944年の7月~8月にかけて、日米両軍の激しい地上戦の舞台となり、その狂気の中で多くの島民が命を奪われました。
毎年7月~8月には、グアム各地ですべての犠牲者に祈りをささげる慰霊祭とミサが催されています。日本人会は、事件の当事国の関係者として、日本国総領事館やNPO法人ピースリングオブグアムとともに各慰霊祭に参列し、花と祈りをささげています。

7月16日 メリッソ慰霊祭
メリッソは戦時中に日本軍による島民の虐殺があった場所で、ファハとティンタの虐殺現場に受難碑が建てられている。
1944年7月15日、日本軍はメリッソから島民を強制収容所に連行する途中で、家族に米軍関係者がいる島民を選び、16人をティンタで殺害した。
また、日本軍は島民を強制労働させて陣地構築を進めており、作業が終わった後、軍事秘密の漏えいを恐れ、特に体格の良い男性30人を選び、7月16日にファハで殺害した。

7月18日 アサン慰霊祭
アサンビーチは1944年7月21日に米軍が上陸を果たした海岸の一つ。上陸前に米軍によって1万8千発もの爆弾が撃ち込まれ、ビーチとその周辺の村々は、煙と爆撃跡しか残らない廃墟となった。上陸をめぐる攻防では日本軍守備隊およそ2万人のうち半数以上の1万2千人が散華したと言われる、グアム戦争で最も激烈な死闘が交わされた激戦地。

7月19日 アガット フェナ慰霊祭
アガットの海岸も米軍上陸地点の一つ。米軍上陸から2日後の1944年7月23日、日本軍はアガットとスマイの島民をジョニャの強制収容所へ連行中、十代の若い男女を選び、とどまらせて強制労働や強姦の後で35人をフェナの洞窟で殺害した。

7月20日 スマイ慰霊祭
現在は米海軍基地の敷地となっているオロテ半島のスマイは、戦前はグアム最大の人口を誇る商業の中心地であった。1941年12月、日本軍はハワイの真珠湾攻撃に続いてグアムのスマイ地区を空爆。この爆撃でスマイの15名が犠牲となった。その後日本軍はグアムへ侵攻し、オロテ半島は軍用地として接収。スマイの住民はサンタリタへ強制退去させられた。悲劇は続き、サンタリタの住民の一部はその後強制労働や強制収容所への移動の際フェナやジーゴで虐殺されたと言われている。

7月24日 ジョニャ マネンガン慰霊祭
マネンガンはジョニャのジャングルの奥深く、戦時中に日本軍が島民を強制収容した場所。日本軍は島民を強制労働させて防空壕や弾薬庫を作ったため、その軍事秘密の漏えいを恐れて島民を強制収容したと言われている。約1万8千人もの島民を食料もない劣悪な環境に収容し、多くの人が栄養不良や病気で命を落とした。

8月8日 ジーゴ チャグイアン慰霊祭
アサン、アガットでの戦闘で敗退した日本軍の将校たちは北へ逃れ、ジーゴの叉木山と呼ばれた場所に集結し、ここが日本軍の組織的な戦闘としては最後の場となった。敗走する日本軍は、弾薬の運搬など危険な強制労働のために帯同していた45人の島民をこの叉木山付近のチャグイアンで斬首した。
現在、この叉木山と呼ばれた場所は、グアム戦のみならず太平洋戦役で亡くなったすべての日本軍兵士、米軍兵士、戦争に巻き込まれてその犠牲となった太平洋地域の島民等を追悼し、世界平和を祈念する慰霊公苑となっている。

irei  irei

グアムでは戦時中に約700人の島民が日本軍によって殺害されたと言われています。
慰霊祭は毎年7月~8月に各地で行われており、どなたでも参列できます。

また、日本人会は年に2回の慰霊碑清掃と慰霊祭を主催しています。次回は12月11日(日)です。
是非皆さんも、グアムに住む日本人として、私たちにしかできない大切な行事に参加されてはいかがでしょうか。私たちがいま享受している平和な社会、幸せな日々は、戦争という狂気の中で命を落とされた多くの尊い犠牲の上にあることを忘れないために。そして決して同じ過ちを犯してはならないという大切な教えを次の世代に受け継ぐために。

編集委員:E.K.