米国の雑誌ライフが「過去千年の間に偉大な業績をあげた世界の人物100人」という企画を1998年に打った。その時、ただ一人日本人で選ばれた人物がいる。それは江戸後期の浮世絵師葛飾北斎だった。

 この「世界の北斎」に専科した美術館が、昨年暮れに墨田区の両国にオープンした。壁全体を銀白色のアルミパネルで覆ったデザインは近未来的な外観だが、モダン過ぎて入口が分り難く、階段もない4階建だ。

 内部は常設展示と特別企画展の部屋の2つに区分されている。常設展示は全てレプリカだが、青年期から晩年まで年代順に6つに分類され、有名な神奈川沖浪裏や凱風快晴など錦絵の代表作「富嶽三十六景」をはじめ、絵手本の「北斎漫画」、晩年の肉筆画まで多種に及ぶ。生涯に描いた作品数は実に3万点以上という自称画狂人の北斎だったから、海外の収集家の手に渡った作品の数も膨大で、企画展の方は折から開催中のピーター・モースのコレクションに始まり、今後は順次、収集家たちの有名コレクションを“帰郷”展示することになるのだろう。海外に多くが流出したことは、戦火で焼失せずに済んだという利点もあった。

 館内には娘の阿栄(画家)と二人で暮らす晩年の彼の、アトリエ(4畳半)での制作風景が実物大の模型で再現されている。炬燵で体を温めながら制作に没頭する姿はユーモラスだが、その部屋は紙屑だらけで、その散らかりようは半端ではない。彼も娘も家の掃除は一切せず、ゴミで動きが取れなくなったら次の借家に引っ越したのだろう。北斎は90年の生涯のうちに93回も引っ越したという引越し魔だった。

 当時の浮世絵の世界では、風景はあくまでも人物の背景に過ぎなかったが、北斎はオランダの風景画など洋画の影響も受けて、浮世絵の世界に風景画を確立させた絵師だった。そしてそれが「富嶽三十六景」などの珠玉の名作となって結実した。

 片や、北斎が西洋の画壇に与えた影響も決して小さくない。日本から輸出される陶器の包装紙として、何故か「北斎漫画」の下絵などが使われた時期があったそうだが、それがフランスの画商の眼にとまり、デッサンやスケッチの卓抜さに画家仲間が驚嘆し、やがてゴッホやモネなど西欧画壇にジャポニズム・ブームを引き起こす起爆剤となった。

 金銭感覚に疎かった彼は晩年も決して生活は楽ではなく、住所不定にまで落ちた窮乏の時期もあったという。79才の時には火災に遭い、10代の頃から描き溜めてきた写生帖を全て失ってしまうという悲劇もあった。もし今その写生帖が残っていたら~~。歴史にモシはないが、企画展の部屋でスケッチの名品を眺めながらふとそんな思いを強くした。
 
(HIRO株式会社発行:雑学新聞「せれね」より転載)

小林 正典