グアムの大和撫子、タツエさん(2)

 エスピノザは1965年―1973のベトナム戦争でも手柄を上げ、表向きは順風満帆に見えたがエスピノザさんのギャンブル狂いでタツエさんの米国基地での駐在生活は経済的に困窮を極めた。 昔、夜逃げ同然で家を後にしたタツエさんは伊豆の故郷に帰ろうにも帰れず、忍耐の日々が続く。1973年エスピノザは退役軍人となり、タツエさんを連れて故郷のグアムに帰った。「今まで苦労をかけた。これからはグアムに家を建て平和に暮らそう。博打はやめて恩給は全部家計に使ってくれ」希望に胸を膨らませ「今度こそは二人の真の生活が始まる」と喜んだのもつかの間、グアムの仮住まいで生活が始まるとエスピノザの親戚と其の村の皆はタツエさんを冷たい目で迎え、冠婚葬祭をはじめ其の他の村の行事に出席のたびに一人としてやさしい目を合わせ語りかけてくるものは居らずいつも惨めな思いをしたが、其の度に「絶対負けるものか!!今に日本の大和撫子が如何いうものか見せてやる!!と涙をこらえて仮住まいの家に帰った。一方、エスピノザは昔のギャンブルの味が忘れられず、毎日のように町に出て行き、恩給を使い果たした。それでもタツエさんは家の前の大きな木の切り株の上に、裏で収穫したバナナやココナツジュースやマンゴー、スターフルーツ等を並べて日銭をためて毎日の食事の糧にした。偉丈夫の夫には肉や卵を食べさせ自分はバナナやマンゴー等、売れ残った果物と、少ないお金で買うお米で食卓を囲んだ。そして少しずつお金を貯金箱に入れ毎日を耐えた。

 仮住まい5年が過ぎる頃、タツエさんは心身ともに疲れ果て、栄養失調も重なって手足が震えるようになった。イナラハンの教会へ通い、タツエさんは一人マリア様にぬかずき「私は仏教徒ですが、故郷を捨ててこの地で困窮の極みにあります。慈悲深いマリア様、どうぞ私に勇気と知恵と更なる忍耐力をお与え下さいと願う日々が続いた。いつの日か村の人々が挨拶してくるようになり、ある日彼が「前に約束したようにこの地に家を建てよう。」と言って恩給を担保に銀行からお金を借りようとしたが銀行は相手にしてくれなかった。過去の輝かしい軍歴も紙くず同然になったとエスピノザさんが言うと、タツエさんは栄養失調までして貯めに貯めてきた3万ドルを夫の目の前に黙って置いた。「これは如何したんだ!!」「これはこのような日がきっとくると思って毎日道端で売ってきた我が家の作物の代金から少しずつ貯めたものです。」「どうぞこれを使って私達の生まれて初めての家を建ててください」この時、夫は初めて涙ながらにタツエさんの手を握り、「オレが悪かった。今までどんなに君に苦労をかけたことだろう。」その日以来、夫は一切町に出かけることなく、ギャンブルとは手を切り、裏のジャングルを更に切り開き、作物つくりに精を出した。タツエさんはその頃から見る見る元気になり、通りすがりのホームデポ(米国有数の建築工具デパート)の社長さんが「切り株では不便だから、スタンドを建ててあげよう。」家の前は立派な商店になった。エスピノザが退役軍人でタツエさんを伴って生まれ故郷のグアムに凱旋してから何と36年も経過していた。

 そして2014年8月エスピノザはタツエさんに見守られて永眠、タツエさんに抱かれて微笑んでいたと言う。

 今も毎日スタンドにはたつえさんの収穫した果物などが並んでいる。
                                 

文責:中濱 利生