~私の生き方 80歳を迎えて~

フローレスのりさん   フローレスのりさん

80歳のバースデイパーティをやられたとか。
いつか私の趣味でやっているビーズ作りが完成したら個展をやりたいと計画してたんです。そしたら身の回りの親戚とか知人もだんだんに減ってきましてね、待って待って待っていると、思いが叶わないんじゃないかと思いまして、誕生パーティーと個展を一緒にやることにしちゃったわけです。
たくさんの方がいらっしゃったのですか?
お誘いした方は全員と言ってよいくらい来て下さったので、私にとっては最高の、完成したという喜びでいっぱいの幸せな一日でした。
そもそもいつ、どうしてグアムにいらしたのですか?
1960年7月14日です。私は6歳くらいから声楽をやって、中学・高校時代は宝塚に憧れていてね、将来はJazz Singerになるのが夢で高校は英語の勉強をしました。高校を出てから、今で言うのど自慢大会とかに出ました。丹下清子さんが初めての審査員で、それに受かって自信もっちゃった訳です。ある時、十人抜き選手権という大会があって参加したら、16歳くらいの度胸のある子が賞を取って私はだめだったんです。自信満々だったから、舞台の裏で気絶した思い出があります。それを機会に私はもう歌手になれないのかあと思っている時に、当時つきあっていた今の主人が日本を出るということで、Let’s get marriedになったわけです。
それは何歳くらいですか?
23歳の時です。あの頃はG.I.と結婚の約束をしても実らないことも多い厳しい時代で、アメリカ領事館で式を挙げて、主人が先にジョージア州の空軍基地に異動し、その後私が一人でVisaを取り、まだジェット機のない時代でしたから32時間かけて羽田からカリフォルニアまで行きました。鍋釜も何も持たずスーツケース一つで行きました。すごいですね。貴重な思い出です。それが1958年で今から57年前ですね。そのジョージア州で娘が生まれて、それからグアムの駐屯が決まりました。飛行機から降りた時はすごい熱風で、私は息が出来なくなって降りないと我が儘を言ったんです。その時迎えに来ていた主人の兄は「今日は少しCoolだ」と言ってました。当時90°F(32℃)くらいあったと思います。ココナッツはあったけど、車も信号もあまりなかったし、「大変な所に来た」と私はショックでした。(笑)
とは言え、飛行機から降りて生活を始められた訳ですね?
娘がもう18ヶ月でしたからね。そこから村で3ヶ月住んで、そして基地にたくさん家が出来て、グアム生まれの人がみんなアメリカ式の家に移った。大きな台風が来て、古い家はみんな飛ばされてしまい、水とかも暫くはなかった酷いこともありました。
一番ご苦労されたのはその頃ですか?
戦争時代、日本人は残虐をしているわけでしょ。当時、村に行った時、彼らは私を見ると思い出すわけです。私は、石をぶつけられたり何かされないか心配でした。Fiestaとかに主人と恐る恐る行くんですけど、みんな笑ったり親切なんです。だけど日本兵が当時歌ってた、人をからかうような歌を歌うわけです。そういうのに慣れてない私は恐怖ですぐに帰りました。後で、ここはカトリックで神様を信じてもう許してる、ただみんなは私を見ると、思い出が出てくるのだということが分かりました。
それからずっとグアムですか。
いえいえ、それから主人は今度は横田に異動し、その後サウスダコダに移り、またグアムの駐屯が決まったのですけど、それが1970年です。
その頃の話を聞くと大変新鮮ですけど、今のグアムはすごく変わったという感じでしょうか?
現在グアムに来る日本人の方は、すごく幸せです。その頃は何もないと言っていいくらいで、食べ物も日本食なんてありません、お野菜とか日常必要な物も基地以外では手に入りませんでした。だから、今は天国に思えますね。都会の素晴らしさに慣れた若い奥様たちの中には、グアムには何もないと仰る方がおりますね。分かるんですけど、あまりグアムの歴史も分からないで、ご家族と一緒なのにどこにも行かないで、そういう文句ばかり言うのは、ちょっとお気の毒に思えます。
今回80歳のお祝いをしましたけど、次は90歳、100歳でしょうか?
私は80歳になったら、生きるか死ぬかだと思っていて、だから一日一日が大事。私には守っている道徳があるのですが、それはまず人間として人によくすること。自分も大事だけど、自分だけ大事ではいけない。それから動物を愛することです。これからも力のある限り、ボランティアのお仕事がしたい。少しでも何か出来れば、それが生き甲斐に思えます。自分が幸せだったら、ちょっと周りを見て何かしてあげなくてはいけない、自分の幸せを少し分けようと思う。ここ10年以上そういう生き方をしています。
そうすると毎日がすごく楽しいですよ。

 
 

今回は他に、チャモロの親戚付き合いの話や国際結婚の話など興味深い話をたくさん時間を忘れて伺ったのですが、残念ながら今回の紙面には書ききれません。またの機会にご紹介させて頂きます。ノリさん、素敵な話ありがとうございました。

インタビュアー:釜山 義彦